鈴林です。珍しく金曜ロードショーでやっている映画を観ました。かぐや姫の物語…前に金曜ロードショーで観たことがあったんだけど、その時はまだ高畑勲監督はご存命だったんだよね。
追悼記念で放送してくれるというので、せっかくだから観た。
高畑勲監督の作品って…本当に良いよね。あたしは赤毛のアンがすごく好き。あとアルプスの少女ハイジ。確か赤毛のアンで、宮崎駿監督とケンカか何かして…途中から宮崎駿さんは赤毛のアンには関わらなくなったって聞いた。
でもお別れの会での宮崎駿さんを観たら、それぞれ譲れない大きなものがあるからこそのケンカだったのかな、と思う。その時は、大事にするものが違ったということなのかな。
ご冥福をお祈りいたします。
かぐや姫の物語
捨丸にいちゃん
もう超泣いた…。ちょこちょこ泣ける映画だった。2回目でも泣けた。むしろ先を知っているからこそ泣けてしまった。
一番泣いたのは、大きくなった捨丸にいちゃんとかぐや姫が再会する時かな…。
1度見たことがあるから、子どもの頃に捨丸にいちゃんと出会う時に…最後は知ってたけど、それでも捨丸兄ちゃんとの思い出は変わらないよね。
子供の頃はもちろんお互いに全く意識してない。子供の頃って、特に男女がどうとかであまり…しないし。特に山で遊んでる子供は気にしない。
一緒に畑からスイカ?を取ったり、雉を追いかけてケガをしたり。キノコを採って、雉をさばいて雉鍋にしようって約束したり。イノシシの子ども、瓜坊に近づいちゃいけないって教わったり。
捨丸にいちゃんとかぐやちゃんは、あのまま一緒にいたらきっと夫婦になっただろう。
かぐやちゃんの言う通り、「捨丸にいちゃんとだったら幸せになれた」と思う。
月に帰らないといけない、と決まってからじゃないとあの山に帰れないのも悲しい。捨丸にいちゃんたちが帰ってきてくれたのは、運命、みたいなものなんだろうな。かぐやちゃんはあの時歌ってなかったのに、捨丸にいちゃんに何か聞こえたのも…何かの思し召しなんだろうか。
都で捨丸にいちゃんと出会ったときに、かぐやちゃんが捨丸にいちゃんに駆け寄れたら何か変わったんだろうか。あのまま、お母さんを置いてあそこで捨丸にいちゃんを庇っていたら…何か変わっていたんだろうか。
山でかぐやちゃんと会った捨丸にいちゃんは、既に妻子持ち。そりゃ…旅する仕事だし、あの時代だし、仕事柄ということもあるしそりゃすぐに結婚して子供も作るよね。
それなのに捨丸にいちゃんは「たけのこか!?」ってたけのこの事、覚えててくれてたし一緒に逃げてくれようとしてた。妻も子供も、仕事も捨てて、一緒にどこかに逃げてくれようとしてた。
普通に考えたら最低野郎なんだけど…この映画だとそれがすごく泣ける。かぐやちゃんにとって、捨丸にいちゃんは希望の可能性。捨丸にいちゃんとだったら「幸せになれたと思う」という可能性。お互いにもう別の道を進んでいるから、「なれる」わけじゃないけど「そんなこともあったかも」と思わせる。
かぐやちゃんもそれをわかっているのか、どうなのか…最後は結局、捨丸にいちゃんの中でも夢の中のことだった…みたいになってるし。
あのまま、2人で逃げられたら良かったのにね…。色々全部捨てて、捨丸にいちゃんと一緒に全力で走って逃げられたらよかったのに。みつかってても良いから、なんでもいいから、2人で逃げられたら良かったのに。
でもそうはならない。捨丸にいちゃんは家族と、かぐやちゃんは都に戻る…。捨丸にいちゃんとかぐやちゃんが2人で手をつないで空を飛んでるところが、すごく泣けた。
「もっと強く抱きしめて!」
とかも泣けた。悲しい。「もう遅い」「何もかも遅いの」か…。悲しい。
何が幸せなのか
竹から生まれた女の子、かぐや姫。かぐやちゃんが生まれて、どんどん大きくなって、それを見て喜ぶ翁とおばあさんを観ていても、なんだか泣けたわ。
翁の「ひーめ!おいで!!ひーめ!!おいで!!!」って呼んで、子どもと競り合ってるところとか妙に泣ける。翁は、竹藪で金をみつけてから…そして竹からたくさんの着物が出てきてから変わってしまった。
「これが姫の幸せだ」って幸せを押し付けるようになってしまった。でもそれを否定することはできない。だからおばあさんも反対することなんてできなかった。あの時代は…たぶん平安時代??
平安時代に、山で暮らすのが一番良い!なんて考えを持っている人は、きっとほとんどいない。大きな屋敷で召使をたくさん抱えて、高貴な暮らしをしたいとみんなが思っているだろう。翁も、それまでの人生で「それが理想である」と知っていたんだろうか。
拾った女の子、竹から出てきた金、竹から出てきたたくさんの着物…確かに天の啓示だ。でも、都に出て行った方が良い、と必ずしも取れるわけじゃない…よね。
都に行ってから、かぐやちゃんがどんどん抑圧されてるのがかわいそうだった。
高貴な姫らしく、歯を出して笑ってはいけない。
高貴な姫らしく、歩くのも好ましくない。
高貴な姫は‥‥って習い事も決まりも、本当に多かった。
「~~するのが幸せなのです」という、幸せの押し付け。高貴な身分の方々と添い遂げるのが幸せ、高貴な暮らしをするのが幸せ…。翁は、自分の幸せとかぐやの幸せのためが…どんどんごっちゃになってしまったように思う。
おばあさんだけはずっとかぐやちゃんの味方だった。
翁がしたことは「悪いこと」ではない。かぐやちゃんの幸せを願ったことだし、この時代大多数の人はこれで「きっと幸せだった」と思う。でもそれはかぐやちゃんの幸せではなかった…んだよね…。
偽物の姫、偽物の庭。偽物の私…そう言って庭をめちゃめちゃにするのが悲しかった。
私がこうして喜ばなかった女はいない
御門ーーーー!!w
かぐや姫の物語の中で、出てくるだけで笑ってしまうキャラクターーー!!出番自体はそこまで多いわけでもないんだけど、一度観たら忘れられない存在…それが御門!!w
この時代の御門って、天皇と同じ意味…と考えていいはずだよね。
確かに、御門の言う通り「私がこうして喜ばなかった女はいない」なんだと思うよ。帝の傍に仕える、帝の側室になる、帝のお手付きになる…それだけですごい名誉だし、たったそれだけでみんな喜ぶし生きていく上で困ることは無くなるだろう。
でもかぐやちゃんからしたら、よくわからん顎の長い男が急に後ろから抱き着いてきた…という
事案でしかない。
御門が急に抱き着いて気持ち悪がらせたから、かぐやちゃんは月に帰ることになってしまった…と言っても間違いではないんだよね~…。御門だからって段階を踏まないで急に抱き着くから…!!
出てきただけでちょっと笑ってしまったわw
かぐや姫のお題
高畑勲監督って本当にすごい。童話の中では「上から目線で急に宝物頼んでくる奴」になりがちのかぐや姫は、こーいう理由で頼んでたのか…ってのがわかる。
蓬莱の珠の枝に、仏の御石の鉢、そして火鼠の衣、龍の首の珠、燕の子安貝…。
石作皇子が謝ったのって…
1回目観た時は、石作皇子が「勘弁を…!」って言ったのはてっきり「御簾(みす)を開けてみたらブサイクがいたから」かと思ったんだけど…もう一度観たら違うのかな?と思えた。
石作皇子が言っていた「都を離れてここではないどこかへ行きましょう!」という耳障りの良い言葉は、これまでたくさんの女に言ってきた言葉なんじゃないだろうか。
「あなたの言葉に騙されて、何人もの女が出家をしてきました」的なことを言ってたけど…あれは…あれは石作皇子のお母さん??とかなの??
おばあさんに連れられてやってきて、そして真実を教えてくれたということなんだろうか。
もうちょっとでかぐやちゃんは石作皇子のところに…いってしまいそうだったね。
誰のモノにもならない
あれだけたくさんの人に求婚されても、かぐやちゃんの心は全く動かなかった。
しきたりとはいえ、顔も見たことのない相手からの手紙一つで嫁入りを決めるなんて…嫌だよね…。人となりも知らないのに。手紙なんてどうにでも書けるのに。それで判断なんてできない。
みんな「かぐや姫は顔が良いらしい」という噂とかだけで求婚に来ているのに…。
火鼠の衣を持ってきた右大臣の時、かぐやちゃんの手が震えてた。
「本物だったらどうしよう」って、ずっと思っていたんだろうな。嫁ぎたくないから、誰のところにも行きたくないから言った嘘なのに、本当だったらどうしようって思ってたのかな。
でも…燕の子安貝を取りにいった石上中納言さんは、腰の骨を折ったことで亡くなってしまう。かぐやちゃんは、ただ自由でいたかっただけなのに、間接的に人を殺してしまって…悲しかっただろうな…。
大伴大納言さんは、龍の首の珠。海に行くのは良いけど、海の事を甘く見ていたんだね。この時代は特に神仏への信仰は強いだろうから、雲や海が龍に見えても納得。そして、それに勝てないと思うのも…納得。
すごく面白かった
かぐや姫の物語の公式HPもあって、HP観ても面白いし映画も面白いし、楽しい時間だった。いつの間にか引き込まれてしまうわ。
かぐや姫の物語とハイジに似ているところが…って公式HPに書いてあって…納得した。どちらも、山の生活が好きな女の子だよね。周りの大人が都会を勧めるから都会に行くけど、主人公には合わない。
人それぞれだけど、自然と共に生きるのが一番良いのではないか…と言うメッセージなんだろうか。
アニメを作る技法としてもすごくこだわりがあるし、脚本や内容についてもとても面白い。どの角度から見ても面白い映画だと思う。
しかし…泣けた。捨丸にいちゃんと幸せになって欲しかった。
月からのお迎えのシーンとか…悲しい。辛いことも悲しいことも、悩ませることが何もない世界は…本当に幸せなんだろうか。
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